【胸熱】W杯守護神権田修一はうつだった? 克服できた3つの理由と道のり

2022年ワールドカップ日本代表の守護神ゴールキーパー権田修一選手。
実は過去にある種のうつになっていたんです。

権田修一選手がうつになった理由や克服できた理由と道のりを紹介します。

ワールドカップでも大活躍の権田選手に何があったんだろう?

この記事で分かること

  • 権田修一選手の順調なサッカー人生の光と影について
  • 2022年ワールドカップの権田修一選手がうつになった原因
  • うつを克服できた理由・道のり

権田修一選手の順調なサッカー人生の光と影

ゲキサカより引用

権田選手って確か、サッカーで結構すごい人だったような気がするけど…
確かにそうだけど、プロになってからは苦悩も多かったみたいなんだ。

まずここで権田修一選手の順調なサッカー人生と影についてお話ししていきます。
素人から見たら順調な人生に見えますが、本人も相当な努力や思いがあったことは間違いありません。

またこのサッカー人生と彼の性格がうつのきっかになっていきます。

幼少期からサッカー。2つのユースチームに合格+勧誘を受ける

権田修一選手は幼少期に母親の勧めでサッカーを始め、小学生でGKとして川崎市選抜・神奈川選抜に選出。

横浜・F・マリノスと川崎フロンターレ双方のユースチームに合格するだけではなく、神奈川選抜時の監督から湘南ベルマーレの勧誘を受けていましたが、FC東京-U15に入団しました。
2003年にはクラブユース選手権で優勝し、日本一を経験
選手になる前から順調なサッカー人生を歩んできたと言えます。

ユースチームに2つ合格して、さらに勧誘を受けるって凄い!

日本代表時には監督から将来性を期待される

FC東京時には国士舘大学に在籍しながらトップチームに帯同。

19歳でJリーグデビューをし、翌年20歳には日本代表選手として選ばれました。
日本代表の際は出場機会に恵まれなかったものの、ザッケローニ監督からは「素晴らしい将来性のある選手」と大きく期待されており、翌年のAFCアジアカップにも召集がかかりました。

権田選手はザッケローニ監督やランコ・ポポヴィッチ監督から高い評価を得るGKだったんだ!

2012年のロンドン五輪でU-23日本代表にベスト4進出に貢献するなど、順調で周囲からの期待の大きさが見て伺えます。

サッカー人生に影が見えるようになる

2014年ブラジルワールドカップあたりから心身に不調を感じ始めるようになったそう。

権田修一選手は、2014年のブラジルワールドカップにも召集がかかったものの、出場機会もなくグループリーグで敗退してしまいました。

さらに2015年シンガポール代表戦には4枠あったGK枠に入るも、試合当日はベンチにすら入れませんでした。
同年7月30日の東アジアカップ2015年は代表メンバーに選出されましたが、体調不良を理由に辞退することに。

順調だったはずの権田修一さんに何があったのでしょうか。

権田修一選手がうつで引退を考えることになった原因

ゲキサカより引用

権田修一選手がうつで引退を考えることになった原因は何なのでしょうか。

周囲の評価と自己評価の認識の相違があった

「日々成長することが人生のテーマ」というほどにストイックな権田修一さんは、2014年ブラジルワールドカップ時「まだ日本代表に入ってはいけないレベル」だと思っていたそうです。

それもそのはず、ブラジルW杯の時のGKはベルギーでプレーする川島永嗣選手・浦和レッズの正GKの西川周作選手、そして自分。
この当時の権田修一さんはFC東京に所属するもチームが低迷している中でのGKでした。

強豪選手が多い中で今の自分の現状と比べて悩んじゃったのね…

しかし、周囲は彼のことを低評価していませんでした。

2009年からFC東京の正GKとなり、ナビスコカップで優勝。
さらに前述したザッケローニ監督から「素晴らしい将来性のある選手」と大きく期待されるだけではなく、ランコ・ポポヴィッチ監督からは「日本でNo.1のGK」と高い評価を得ています。

そう、自己評価と周囲の評価の乖離が激しかった!

それでも彼のストイックさや責任感が現状を許せなかったのでしょう。
W杯後、その相違とストイックさが裏目に出て「少しのミスも許せない」「絶対にできないといけない」「もっとやらないといけない」と思うようになっていったそうです。

ある種のうつ「オーバートレーニング症候群」になった

少しのミスも許せなくなった権田修一さんは、試合前朝イチでトレーナーさんにトレーニングを依頼したり、試合後にウエイトトレーニングをしたりと練習に練習を重ね続けました。
続けた結果、オーバートレーニング症候群になりました

2015年東アジアカップに代表で選ばれた際の辞退理由は、この「オーバートレーニング症候群」が原因です。
権田選手は、この時のオーバートレーニング症候群を「ある種のうつだった」と言っています。

練習していても楽しくなくなるなど心身ともにバランスを崩していた状態はある種のうつと言っても間違いないでしょう。

オーバートレーニング症候群とはは、スポーツによって生じる生理的な疲労・精神的な疲労が回復しないまま積み重なって慢性疲労状態になることを言います。
権田選手…たくさん自分を追い込んで辛かったでしょうね…

権田修一選手がうつを克服できた理由・道のり

ゲキサカより引用

じゃあどうやって権田選手はうつを克服したのかな?
それには大きく3つの理由があると権田選手は語ってるんだ

2度大会出場を逃し、その後メンバー入りをしたGKはいません。
大舞台に戻ってきた権田修一選手がうつを改善し戻ってきた道のりと克服できた理由は何なのでしょうか。

理由1:息子のおかげ

第一に当時2歳だった息子さんのおかげなんだそう

オーバートレーニング症候群を公表した後、起きられないくらい疲弊したそうです。
そんな時、権田選手は横で眠る息子さんの顔を見て「かわいい」と感じました。

このちょっとした喜びが権田選手を救ったのです。

一緒に起きてお子さんと公園に行くことが楽しくなり、だんだん外に出られるようになっていきました。

理由2:本田圭介のおかげ

第二に本田圭佑さんが声をかけてくれたことがきっかけだそうです

息子さんのおかげで徐々に回復していき、練習試合に復帰できるようになるも、心はそんなに早く回復できません。
FC東京の練習場や風景を見ることですら当時の権田選手には辛く、クラブを離れることになりました。

そのタイミングで本田圭佑さんが、オーストリアのSVホルンに力を貸して欲しいと声をかけます。
欧州でプレーしてみたいという気持ちや環境を変えて体調を回復させるため、移籍することを決意しました。

本田圭佑さんは権田選手のことを気にかけてくれてたのね
権田選手の実力や実績、人柄があったからこそだね

理由3:海外移籍で心に余裕ができた

最後は海外移籍したことで心に余裕ができたことだそうです

海外に移籍したことで、割り切ること・いい意味で諦めることなど心の余裕ができるようになったと権田選手は語っています。

今までの自分にない生き方や自分がサッカー選手として生きる道を身につけられたようです。

心も体も回復し、2018年にはキリンチャレンジカップで再び日本代表に。
2019年AFCアジアカップでは6試合にレギュラー出場。
2021年には国際Aマッチ出場8試合連続無失点を達成しました。

そして2022年ワールドカップ!
権田選手は日本代表として再び大舞台に立っています。

まとめ:権田修一選手を応援しています!

大変な思いをしてこの舞台に戻ってきた権田選手は本当に素晴らしい選手だと思うわ!
そうだね!
これからも権田選手を応援したくなるね!

ドーハの奇跡を起こした日本。
その守護神である権田修一選手。

うつを乗り越えて再び大舞台へ…!とっても胸が熱くなります。

ベスト8がかかる2022年12月5日が見逃せません。

決勝トーナメント1回戦(ノックアウトステージ・ラウンドオブ16)

日本VSクロアチア戦

2022年12月6日0:00開戦

会場:アルジャヌーブ・スタジアム
放送:フジテレビ系列・Abema